花火大会で聞こえる「たまや~!」「かぎや~!」の掛け声の意味や由来を詳しく解説。玉屋と鍵屋の違いや歴史、なぜ今も使われるのかを丁寧に紹介します。

○○と○○の違い








たまやとかぎやの違いとは?由来と意味を徹底解説!


たまやとかぎやの違いとは?由来と意味を徹底解説!

夏の夜空を彩る花火大会。その中で観客から聞こえる「たまや~!」「かぎや~!」という掛け声。
日本の風物詩としておなじみですが、「たまや」と「かぎや」にはどんな違いがあるのでしょうか?
本記事では、それぞれの由来や歴史、そして現代まで伝わる理由を詳しく解説します。

たまやとかぎやの基本的な違い

項目 玉屋(たまや) 鍵屋(かぎや)
創業時期 江戸時代後期(天保年間) 江戸時代初期(享保年間)
創業者 初代・清七(鍵屋からのれん分け) 初代・弥兵衛
場所 両国川開きの川下側(下手) 両国川開きの川上側(上手)
代表的な花火 華やかで芸術的な花火 力強く勢いのある花火
現在の存続 江戸時代に失火で廃業 現存し、株式会社 鍵屋として続く

「たまや」と「かぎや」の由来

「玉屋」と「鍵屋」は、江戸時代に両国川開き(現在の隅田川花火大会)で人気を競い合った二大花火師の屋号です。

鍵屋(かぎや)

鍵屋は享保18年(1733年)に江戸幕府の許可を得て、隅田川で初めて花火を打ち上げた花火師集団です。
この年は大飢饉と疫病が流行したため、犠牲者の慰霊と悪霊退散を願う意味で花火が打ち上げられました。
以来、鍵屋は「江戸の花火師」として名を馳せ、多くの職人を輩出しました。

玉屋(たまや)

玉屋は鍵屋の職人・清七が独立して立ち上げた花火屋です。
鍵屋から分かれたことで両者はライバル関係となり、両国の川開きでは「上手の鍵屋」「下手の玉屋」として競い合いました。
玉屋の花火は美しさと繊細さで人気を博し、江戸庶民から「たまや~!」の声援を浴びました。

なぜ「たまや」「かぎや」と叫ぶの?

花火大会で観客が「たまや~!」「かぎや~!」と叫ぶのは、江戸時代の名残です。
当時は玉屋と鍵屋が交互に花火を打ち上げており、どちらの花火が見事だったかを観客が声で応援していたのです。

特に玉屋の花火が美しかったことから、「たまや~!」という掛け声が広く知られるようになりました。
その後、玉屋が失火により廃業した後も、「たまや~!」の掛け声だけが残り、今でも花火大会で使われています。

玉屋が廃業した理由

天保14年(1843年)、玉屋の店から出火し、周囲を焼く大火事となりました。
この火事の責任を取って玉屋は江戸から追放され、廃業に至ります。
それでも人々の心に残った玉屋の華やかな花火への憧れが、掛け声として今に伝わっているのです。

現代に残る「かぎや」

一方の鍵屋はその後も花火師としての伝統を守り続け、現在も「株式会社 鍵屋」として存続しています。
隅田川花火大会をはじめ、全国各地の花火大会でその技術が受け継がれています。

まとめ:「たまや~!」「かぎや~!」は江戸庶民の声援

「たまや」と「かぎや」は、江戸の花火文化を支えた二大花火師の名前です。
華やかな玉屋、力強い鍵屋——二つの屋号が競い合ったことで、今日の日本の花火文化が生まれました。
花火大会で「たまや~!」と叫ぶその瞬間、あなたも江戸の庶民の一人になった気分で夜空を見上げてみてください。


たまやとかぎやの違い:まとめ表

項目 玉屋(たまや) 鍵屋(かぎや)
起源 鍵屋からのれん分けで誕生 江戸幕府公認の花火師
花火の特徴 華やかで芸術的 力強く勇壮
位置 両国川下側 両国川上側
現在の存続 失火により廃業 株式会社 鍵屋として現存
掛け声 「たまや~!」 「かぎや~!」

両者の違いを知ることで、花火大会がさらに味わい深くなります。
今度の花火大会では、江戸の情緒を感じながら「たまや~!」と声をかけてみましょう。



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