うなぎの蒲焼の「蒲」はどこから来た?名前の由来と歴史を解説
夏のスタミナ料理といえば、やっぱりうなぎの蒲焼。
香ばしい香りと甘辛いタレがたまりませんよね。
でも、ふと疑問に思いませんか?
「なぜ“蒲焼(かばやき)”っていうの?」
「焼く」のは分かるけど、“蒲”とは何を意味しているのでしょうか?
今回は、蒲焼の名前の由来・昔の焼き方・語源の説まで、詳しく解説します🐍🔥
「蒲焼」という名前の由来
「蒲焼(かばやき)」という言葉の由来には、いくつかの説がありますが、
もっとも有力なのが次の2つです👇
- ①「蒲の穂」に形が似ていた説
- ②「皮焼き」から変化した説
どちらも興味深いですが、実は昔のうなぎの焼き方を知ると「蒲焼」という言葉の意味がよく分かります。
①「蒲の穂」に似ていた説(もっとも有力)
昔の「蒲焼」は、現在のように開いた形ではなく、
うなぎを丸ごと串に刺して焼くスタイルでした。
その姿が、川辺に生える植物「蒲(がま)」の茶色い穂(ほ)にそっくりだったため、
「蒲の穂のように焼く」→「蒲焼」と呼ばれるようになったとされています。

▲「蒲(がま)」の穂。昔のうなぎの形に似ていたとか。
つまり、「蒲焼」は見た目の形からついた名前なんです。
②「皮焼き」から変化した説
もう一つの説は、「皮焼き(かわやき)」が訛って「かばやき」になったという説です。
うなぎの皮は厚くて弾力があり、昔は皮目を香ばしく焼くことが特徴でした。
そのため、皮を焼いた料理=「皮焼き」→「かばやき」と呼ばれたのでは?という説です。
ただし、この説は語呂の変化がやや不自然なため、
現在では「蒲の穂説」が主流となっています。
昔の蒲焼と今の蒲焼は違う!?
実は、昔の蒲焼は現在の形とまったく違うものでした。
平安〜室町時代
- うなぎを丸ごと串に刺して、炭火で直焼き。
- 塩味のみ、タレは使わない。
- 形は細長く、まさに「蒲の穂」そっくり。
江戸時代以降
- 背開き(関東)・腹開き(関西)のスタイルが登場。
- 甘辛いタレをつけて焼く現在の「蒲焼」が誕生。
- 武士階級・庶民の間で大人気となる。
つまり、昔は“丸焼き”だった蒲焼が、江戸時代に今のタレ焼きスタイルに進化したんですね。
関東と関西で違う!蒲焼の文化
| 地域 | 開き方 | 焼き方 | 特徴 |
|---|---|---|---|
| 関東(江戸) | 背開き | 一度蒸してから焼く | ふっくら柔らかく上品な味 |
| 関西(大阪) | 腹開き | 蒸さずに直焼き | 香ばしく脂の旨みが強い |
江戸では「切腹」を嫌って背開き、
商人の街・大阪では「腹を割って話す」から腹開きという文化的背景もあります。
同じ「蒲焼」でも、地方でこれだけ違うのは面白いですよね!
うなぎ文化の広がりと“土用の丑の日”
江戸時代後期、平賀源内が「土用の丑の日にうなぎを食べると夏バテしない」と宣伝したことで、
うなぎの蒲焼が全国に広まりました。
今では「夏=うなぎ=蒲焼」というほど、日本の食文化に定着しています。
まとめ:「蒲焼」の“蒲”は形から生まれた名前
| 説 | 内容 | 現在の評価 |
|---|---|---|
| ① 蒲の穂説 | 昔のうなぎの姿が蒲の穂に似ていた | 有力◎ |
| ② 皮焼き説 | 「かわやき」→「かばやき」に変化した | 補説△ |
つまり、「蒲焼」の“蒲”は、昔のうなぎの形が“蒲の穂”に似ていたからなんです。
現在ではタレ焼きのイメージが強いですが、
名前には古い時代の調理法の名残が残っているんですね。
次にうなぎを食べるときは、そんな由来を思い出してみると、
より一層おいしく感じられるかもしれません😋🔥


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