鎖国中でも貿易していた国とは?日本が唯一交流を続けた国々
江戸時代の日本は「鎖国」と呼ばれる時代に入り、海外との交流をほとんど絶っていたと言われます。
しかし、実は“完全な鎖国”ではなく、一部の国々とは貿易や外交が続いていました。
この記事では、「鎖国中でも貿易していた国はどこなのか」「どのような品物をやり取りしていたのか」を詳しく解説します。
「鎖国」とは何だったのか?
まず、「鎖国」という言葉は後世に作られたもので、当時の幕府が使っていた公式な用語ではありません。
江戸幕府は、キリスト教の布教を警戒しつつも、経済や情報面で必要最低限の国際交流は維持していました。
つまり、海外との関係を「制限」していたのであって、完全に「遮断」していたわけではなかったのです。
この政策が確立したのは1639年、ポルトガル船の来航を禁止したとき。
以後、日本は約200年以上にわたり、限られた相手とだけ貿易を続けました。
鎖国中でも貿易を許された国は4つ
江戸幕府が認めていた貿易相手は次の4つの国(地域)です。
| 国・地域名 | 貿易拠点 | 主な内容 |
|---|---|---|
| オランダ | 長崎・出島 | 西洋との唯一の窓口、医薬品・科学書などを輸入 |
| 中国(清) | 長崎 | 絹織物・漢方薬・陶磁器などを輸入 |
| 朝鮮 | 対馬藩(長崎ではなく陸路外交) | 朝鮮通信使による外交・文化交流 |
| 琉球(現在の沖縄) | 薩摩藩を通じて | 中国との中継貿易、南方物産の輸入 |
このように、「鎖国」といっても実際は4方向との交流が保たれており、幕府の管理下で限定的な国際関係が維持されていました。
① オランダ ― 西洋との唯一の窓口
江戸時代、日本とヨーロッパ諸国との関係で唯一許可されたのが「オランダ」でした。
ポルトガルがキリスト教を布教したのに対し、オランダは商売に徹しており、宗教的影響をほとんど与えなかったことが幕府に評価されました。
オランダ商館は長崎の人工島「出島」に設けられ、西洋文化や最新の科学・医学・地理学などがここを通じて日本に伝わりました。
これが「蘭学(らんがく)」の発展につながります。
- 輸入品:ガラス製品、時計、医薬品、書籍、顕微鏡など
- 輸出品:銀、銅、漆器、陶磁器
オランダ商館長は定期的に江戸まで「参府」し、将軍に謁見して報告を行いました。これが後に「オランダ風説書」と呼ばれる日本の重要な情報源となります。
② 中国(清) ― アジア貿易の中心
オランダと並んで長崎で貿易を行っていたのが「中国(当時の清)」です。
当時の中国は東アジアで最も大きな経済圏を持つ国であり、日本との交易も盛んでした。
中国からは絹織物・漢方薬・陶磁器・砂糖などが輸入され、日本からは銀・銅・海産物などが輸出されました。
また、中国人商人がもたらした文化や文献は、江戸の学者や知識人に大きな影響を与えました。
③ 朝鮮 ― 対馬藩を介した外交関係
朝鮮(現在の韓国)との関係は、対馬藩(現在の長崎県対馬市)が仲介して行われていました。
これは「通信使(つうしんし)」と呼ばれる正式な外交使節団を通じて維持されていたものです。
朝鮮通信使は将軍の代替わりなどの際に日本を訪れ、文化・学問の交流を行いました。
彼らは“国際親善大使”のような存在であり、江戸幕府の外交の象徴ともいえる存在でした。
貿易としては、朝鮮からは書籍・薬材・織物などが輸入され、日本からは銀や銅、工芸品が輸出されました。
④ 琉球(現在の沖縄) ― 中国との中継地点
琉球王国(現在の沖縄)は、もともと独立した王国であり、中国(明・清)との朝貢関係を持っていました。
1609年に薩摩藩(鹿児島県)が琉球に侵攻し、その後は薩摩藩の支配下にありながら中国とも関係を続けるという独特な立場でした。
そのため、琉球は“日本と中国をつなぐ貿易の中継地”として非常に重要な役割を果たしました。
琉球からは薬草・香木・砂糖などの南方物産が日本に輸入されました。
⑤ 蝦夷(アイヌとの交流)
厳密には「外国」ではありませんが、北海道(当時の蝦夷地)では松前藩を通じてアイヌの人々と交易が行われていました。
彼らはロシア経由で得た毛皮や鉄製品などを持ち込み、日本からは米や衣料などを輸出していました。
この蝦夷貿易も、実は日本の北方外交の一部を担っていたのです。
まとめ:鎖国は「完全な孤立」ではなかった
「鎖国」と聞くと、日本が外の世界と一切関わらなかったように思われがちですが、実際は違います。
幕府は国の安全を守りつつ、必要な情報や文化、物資を限られたルートで取り入れていました。
- 西洋との窓口:オランダ(出島)
- アジア貿易:中国(長崎)
- 外交関係:朝鮮(対馬)
- 中継貿易:琉球(薩摩経由)
- 北方交流:蝦夷(松前藩)
こうした交流があったからこそ、日本は明治維新の際に一気に近代化できたとも言われています。
「鎖国」は単なる孤立ではなく、日本独自の“選択的開国”の時代だったのです。


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